ヨハンナ最高傑作ハイジ!いつまでも人気の絶えない作品である

1880年ヨハンナスピリの体験談などが含まれた「アルプスの少女ハイジ」が出版され、たちまち世界中に一世風靡しました。そしてヨハンナスピリにとっては、このハイジは最高傑作となり、現代でも高い人気を誇っています。
原作本でも日本語に訳されて100種類以上も、書店で販売されています。このハイジがアニメ化される前に、今はスタジオジブリでお馴染みの宮崎駿監督や、高畑勲さんが1年間スイスに出向いて、現地調査を行っていました。
ハイジの舞台は、原作に沿ってマイエンフェルトの駅や架空の名前ではありますがデルフリ村(モデルになった実在の村があります。)、そしてハイジとおんじが住んでいた高い山の上の山小屋などの画面設定を行っていました。
そして1年後の1974年(昭和49年)アニメ「アルプスの少女ハイジ」が放送開始されたのです。当時としても高視聴率を達成し、アニメハイジは今後何度も再放送されました。それくらい人気が高い証拠です。
それに現代では一目ハイジの住んでいた場所を見たいということで、日本人観光客がスイスに殺到しています。
それにアニメでハイジたちがよく食卓で食べていた、「黒パン」「チーズ」「干し肉」「ワイン」なども現地で実際に口にすることが出来ます。スイス人はワインを好んでよく飲む習慣が多いので、お酒好きな人には寧ろお勧めです。
ミルクチーズフォンデュは、スイスでもお勧めのグルメ料理です。チーズをミルクで溶かして、コンスターチを少量で混ぜてスープ状態にして作ります。これをパンにつけて食べると、舌がとろけるほど美味しいとか。一度ご家庭でも試してみては如何ですか?
アニメの中でもハイジとペーター、おんじはこの料理を食べていますよ。
それからクララの住むフランクフルトにも人気があります。クララの屋敷のモデルのゲーテハウス、マイン川(クララとハイジ、おばあさまが森へピクニックに行った場所)、中央駅(ハイジがアルプスからやってきた時、セバスチャンに送られてアルプスに向かう駅)、ドーム、レーマー広場(クララとハイジ、おばあさまが馬車で散歩に行った場所)などが観光の名所となっています。
アニメでは色んなアルプス・フランクフルトの名所が見られて、本当にそこへ旅行でいけたらどんなにいいか~って願ったものでしたが、まだ自分は実際には行った事がありません。
でもヨハンナスピリの体験を元にした作品と言われておりますので、この主人公ハイジは作者のヨハンナスピリそのものと言っていいでしょう。アルプスの山を元気に走り回ったり、知らない都会で病気になったりするなど、これはまさしくハイジ+ヨハンナスピリです。
ハイジの人気の秘密はやはり、スイスの素晴らしい風景、そしてハイジの素直さ、心優しさですね。そして沢山のヤギや野生の動物なども本当に日本にはないものが多くて、年齢関係なく魅かれて行く作品です。
それからあのいつもハイジに辛く当たっていた執事のロッテンマイヤーさんには、実際のモデル女性がいるってことをご存知でしたか?このモデル女性はとても美人で、スイスの美術館で仕事をしていた作者のおばさんがそうです。本名は不明です。
2012年(平成24年)からアニメハイジはテレビのCM「家庭教師のトライ」に起用され、現在も放送中です。ですからハイジは今でも全然古さを感じないアニメなのです。
平成になっても今だに人気のハイジ!作者のヨハンナスピリは本当に素晴らしい作品を残してくれました!

アルプスの大自然!ハイジとクララの友情をより深めて行った!

ハイジがフランクフルトで病気になり、医師の診断によりアルプスに帰る時、クララは「来年の春になったらハイジの山へ行くわ!」と約束をします。
そして翌年の春。クララはハイジのアルプスの山へとうとうやってくることが出来、2人は喜びの再会を果たします。クララは今までフランクフルトの家の中で過ごすことが多かっただけに、ハイジから話しを聞いていた憧れのアルプスの山に来られたことで、感激の気持ちで一杯です。
おじいさんとハイジの住むアルムの山小屋と裏の3本のモミの木を見ても、クララは「素敵!来て良かった!」とまたまた嬉しくなります。都会育ちのクララが、果たして山奥での不自由な生活に耐えていけるのかどうかが、課題でもありました。

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すぐにペーターとも仲良くなったクララは、目に見えるアルプスの山々を眺めながら、自然の素晴らしさを覚えて行きます。フランクフルトにはないものが沢山ある!ハイジはこんな素晴らしい場所に住めて羨ましい!とも感じます。
フランクフルトの屋敷の食事は好き嫌いが多くて、食欲のないクララでしたが、山に来てからは食欲が増し、ヤギの乳も何杯もおかわりしたり、パンやチーズも美味しく食べれるようになりました。
おじいさんは「山の空気が美味しくしてくれるんだよ。」と説明します。
クララはいつしか山のお花畑に行ってみたいと願います。ですが足の悪い彼女は、自分で行くことが出来ないので悲しくなってしまいます。でもハイジとペーターの知恵で、クララも一緒に行けることになりました。
最初はペーターがクララをおんぶして、山のお花畑に登り、ハイジはペーターの代わりにヤギの面倒を見ていました。勿論犬のヨーゼフも一緒です。ついにお花畑に付いた時、クララはまたまた感激しました。でもその帰りのことです。
ペーターがまたクララをおんぶして山道を下るのですが、彼はもう疲れ切っていました。クララが「もういいわ。」と言ってもペーターは頑張ります。そのことでクララは、自分が来たために、多くの人達にこんなに迷惑かけているんだ…と落ち込んでしまいます。
でもハイジもペーターもそんなことは全然気にしていません。山の綺麗な空気のお蔭で、クララはどんどん健康になっていきました。途中おばあさまがアルプスにやってきて、おじいさんから「歩く練習をさせてみたい。」の言葉を聞いて、おじいさんとハイジにクララを預ける事にしました。
山を元気に駆け回るハイジとペーターの姿を見て、クララ自身も「私も歩けたらどんなにいいいだろう。」と歩くことに徐々に前向きになっていきます。そしてついにクララは歩く練習を始めます。
お嬢様育ちのクララにとって、これは生まれて初めての大試練です。勿論おじいさん、ハイジ、ペーターもクララの歩く練習に協力します。ですがクララ自身はとても不安でした。
「練習して本当に歩けるようになるのだろうか?」
でもクララはハイジ、おじいさん、ペーターの協力で、立ち上がり、ついには歩けるようになりました!都会育ちの女の子がよくぞ山の生活をしながら、歩けるようになるとは!本当に素晴らしい結末を迎えました。
フランクフルトの屋敷で、外にも出ないで、ひっそりと暮らしていたクララがアルプスへ行けたお蔭で、健康になり歩けるようになったことは、本人は勿論、ハイジにとっても最大の喜びでした。
アルプスの山でハイジとクララはますます友情を深めていくことが出来ました。

執事ロッテンマイヤーさん!ハイジには理不尽なことばかり言っていた

フランクフルトのクララのゼーゼマン家をしきっている女性と言えば、執事のロッテンマイヤーさんです。ハイジが来てから、彼女は何かと厳しくハイジを叱ってばかりいました。
ハイジにして見れば、とんでもない大人の存在と言えますが、ロッテンマイヤーさんはゼーゼマン家の家事全般を取り仕切っている執事です。では執事ってどんな仕事をする人なんでしょうか?
ハイジ・クララの時代の執事は、大金持ちのお屋敷に仕える使用人の中でも一番上の立場のことを言い、監督責任者でもあります。ですから執事はお屋敷で働く使用人たちを常に厳しくしつけなくてはなりません。案外責任の重い仕事です。
ロッテンマイヤーさんは、クララに対しては「お嬢様」と呼んでいましたので、母親の代わりをしているわけではありません。
それにハイジのことを「アーデルハイト」と呼んでいます。これは何故なんでしょう?
実はハイジの名前は、亡くなった母の「アーデルハイト」の名前を短くしたものです。ロッテンマイヤーさんがハイジに「あなたはまだ洗礼を受けてないの?」と聞くシーンがありますが、この洗礼について詳しくご紹介します。
洗礼とは教会でキリスト教の入信式を受けるときに、与えられる名前です。そのご利益を得るために、模範的聖人の名前を付けることが可能だとされています。ハイジの場合、母の名前のアーデルハイトは模範的聖人として聖書に掲載され、実名で「聖アーデルハイト」とされています。
ですからロッテンマイヤーさんがハイジを洗礼名でアーデルハイトと呼んでても、別に間違っていたわけではありません。
しかしこのロッテンマイヤーさん、ハイジがゼーゼマン家に来てから「この家はメチャメチャになるわ!」だなんてとんでもないことを何度も言います。ハイジにして見れば、いつも通りに振る舞っているのに、ロッテンマイヤーさんにとっては、ハイジの振る舞いは気に入らないのです。
ハイジがクララに楽しそうにアルプスの山での生活を話して、部屋の中で口笛を吹くと、「騒々しい!」と激しく注意します。それからハイジが教会で貰ってきた子猫を、自分が動物が嫌いだからと言って、ハイジやクララの意思を完全に無視して捨てさせるなど、大人にしては酷い仕打ちばかりします。
それにハイジがクララの大切な小鳥を籠から逃がしたりしたときには、地下室に閉じ込めたりするなど、現代の子供教育にしては完全に虐待と言えます。いくら執事でもやりすぎです。
ロッテンマイヤーさんは、何かとハイジにばかり辛く当たり、自分の築いてきたものが全部ハイジのために破壊されたと思いこんでいるのです。ですがクララの父・ゼーゼマンやおばあさまが屋敷に来たときには、さすがのロッテンマイヤーさんも、ハイジにお説教は出来ませんでした。
しかし、ロッテンマイヤーさんの仕打ちで一番酷かったのは、「山のことを思いだすことも話すこともしてはいけません。」「あなたは山のことばかり言って、お嬢様のご病気を重くさせる気なのですか?」これらのセリフです。何とも理不尽を通り越しています。
ハイジのことを思えば、彼女は懐かしい山に帰りたくて仕方ないのに、ロッテンマイヤーさんはハイジをどんどん追い詰めていることに全然気が付いていません。ですからハイジは誰にも山へ帰りたいことを打ち明けられず、とうとう病気になってしまいました。
ハイジをフランクフルトで病気にさせた一番の原因はロッテンマイヤーさんです!他の使用人たちから全く尊敬されてないので、執事失格と言ってもいいです。

フランクフルトで出会ったクララ!お金持ちの娘にしては心優しい

8歳になったハイジが学校へも教会へも行っていないことを村人から聞いた叔母のデーテは、フランクフルトの大金持ちの遊び相手として、ハイジを連れて行く計画を立てていました。
おんじは3年ぶりに急に現れたデーテに、決してハイジは連れて行かせないと強く出ます。しかし、デーテはフランクフルトに行けば、お土産を持って帰れると嘘をついて、ハイジを行く気にさせてしまいます。
マイエンフェルトで、デーテに騙されたことに気づいたハイジは、無理矢理汽車に乗せられてしまい、そのままフランクフルトへ向かいました。急に大都会フランクフルトに来て、ハイジの胸は寂しさと不安で胸が押しつぶされそうになりました。
フランクフルトの大金持ちの屋敷にやってきたハイジは、そこで大富豪の娘、クララと出会います。クララは生まれつき体が弱く、歩けないので車いすの生活をしていたのです。
外出できないクララは一日中家の中で過ごすことが多く、学校にも通わないで、家庭教師を呼んで勉強をしていました。クララは一目見た時からハイジを気に入り、すぐに仲良くなります。
ハイジは歩けないクララをひとりぽっちには出来ないと、山へ帰ることを我慢してフランクフルトに留まる決心をします。ハイジにとって大都会の生活は戸惑いと不安の連続でした。でもクララは優しくハイジに接して、親切にしてくれました。
クララは、幼いころに母と死に別れ、父は貿易商の仕事でパリに滞在しており、殆ど不在が多いので、両親の愛情には恵まれていません。それに大人(執事や召使)に頼ってばかりの生活をしているので、多少わがままな所もあります。ですから自分から何かを実行するということは一切出来ません。
ですがハイジがフランクフルトに来たお蔭で、クララも段々と変化が見え始めてきました。それはハイジが話す山の自然や動物たちのことに大変興味を持ち、ハイジがいつかクララのためにアルプスの山を見せたいと提案すると、とても嬉しく思いました。
それからハイジが教会でもらった子猫を内緒で2人で飼うようにするなど、クララはどんどんハイジに影響されていきます。結局子猫は捨てられる結果になってしまいましたが。
ハイジが来る前は、クララにとって1日がとても長く感じて、退屈で仕方がありませんでした。でもハイジと友達になれて、彼女は退屈することがなくなり、ますますハイジを好きになっていくのです。
でもクララが一番不安に思うのは、ハイジが山のことばかり考えて、突然自分の前から消えてしまうのではないかということでした。ハイジが都会の生活に馴染めず、辛くて泣いてるときには、クララは優しくハイジを慰めます。
大金持ちの子供にしては、クララはとっても優しい女の子です。大金持ちの子供と言うのは、わがままで鼻持ちならないってイメージがあるのですが、クララは違います。初めて自分にも友達が出来る!ということで出会ったハイジに何かと気を使い、いつも優しく話したり、時には笑ったりと本当に心から友達が出来たことを喜んでいます。
そういう点ではクララは全然不平不満を言っていません。
父のゼーゼマンが帰宅した時には、クララはいかに自分とハイジは仲がいいことをアピールします。そんな娘の言葉にゼーゼマンも「クララはハイジが好きなんだね?」と察します。さすがに父親、ちゃんと娘の本心を見抜いています!
ところでクララの住むゼーゼマン邸は、フランクフルトのゲーテの生家(ゲーテハウス)がモデルになっています。実際にドイツに行ってみますと、アニメのゼーゼマン邸にソックリなお屋敷・ゲーテハウスが建っています。
一目見ただけで、「クララの家だ!」と分かります。

ハイジにとっては最初の友達!ヤギ飼いペーターはこういう少年だ

アルプスの少女ハイジの登場人物の中で3番目に重要なのは何といっても、ヤギ飼いのペーターです。原作ではペーテルと言われています。ペーターは毎日デルフリ村中のヤギを預かって、山の牧場まで登り、1人で世話をしている少年です。
亡くなったペーターの父がヤギ飼いでしたので、彼が父の代わりにやっているのです。11歳の子供にしては、なかなか出来ることではありません。ハイジが初めてアルプスを訪れた時、ペーターは寝坊をしてしまいました。
村の泉でヤギのゆきちゃんとも仲良しになり、ハイジはペーターがヤギ飼いだと知ると、自分から「私ハイジって言うの!」と彼に打ち解けます。最初のペーターは何ともハイジにはそっけない態度をしていましたが、すぐに2人は仲良くなります。
ペーターもアルムおんじは苦手なようで、傍に近づこうとしません。ですがハイジを初めて山の牧場に連れて行くときにおんじから「ハイジが崖から落ちたりしないように気を付けるんだぞ。」と頼まれるとペーターは「分かったよ!」と責任をかって出ます。
山の牧場でのペーターはとても頼りになります。ヤギを口笛で集めたり、いい乳を出すためによい草などをヤギに食べさせたりします。それに崖から落ちそうになったハイジを救ったり、山の天気などにも詳しく、ペーターはアルプスの知識が豊富な男の子と言えます。
しかしその反面、ペーターには頼りないところもあります。ペーターが一番苦手なのは勉強です。冬の間は村の学校で勉強するのですが、字をなかなか覚えられず、いつも先生に叱られてばかりいました。
それに肝心な時に意思表示をするのもペーターは苦手です。人に説明することがとても下手で、何を言ってるのかサッパリ分からない面もあります。彼は実は恥ずかしがり屋なんですね。
それに大の食いしん坊で、お弁当で持ってきたパンとチーズをハイジの分まで食べてしまう大ぐらいなところもあります。食べすぎてお腹を壊して、ハイジを困らせたこともあります。
でもハイジからしてみれば、アルプスに来た最初の友達でもあり、おんじの次に頼りになる存在です。山の天候は変わりやすく、雨が降りだすと一気にヤギを集めて、ハイジと一緒に雨宿り出来る所まで走っていく行動は、やはりヤギ飼いらしい素早い判断・行動力です。ペーターはたくましい山の少年です。
ハイジとすっかり仲良しになったペーターは、毎日ハイジと山の牧場へ行くのが楽しみになりました。ですがハイジが大雨で小鳥を拾って世話をする為に、牧場へ行かなくなると「ふん、どうせその鳥は明日になれば死んじゃってるさ!」とか「鳥は飛ぶのが当たり前だもん!逃げるのが当然だよ!」と無責任な言葉を発して、ハイジと喧嘩になったり、傷つけたりします。
でもそんなペーターでも後でちゃんと反省するので、本当はとっても優しい性格なんです。ハイジが8歳になって、デーテに無理矢理フランクフルトへ連れて行かれてしまった時には、思い切って「おんじのバカ!なんでハイジを連れて行かせちゃったんだ!」と責めたり、急にハイジがいなくなって大泣きするなど、おんじに続いてまたペーターもハイジを大切な存在だと思っていました。
そしてハイジがフランクフルトから帰ってくると、ペーターは飛び上がって喜び、体全身で嬉しさを表現していました。本当、ペーターもハイジを大事な友達と認識してたことがよく分かりました。
2人はアルプスでの根っからの仲良しです。

ハイジの祖父アルムおんじ!物語では触れていない暗い過去とは?

村人からは完全に「変わり者」「頑固者」として噂され、最終的には村で孤立してしまい、山の高いモミの木の前に山小屋を建てて1人暮らしをしていたアルムおんじ。でもハイジと出会って一緒に暮らすようになってからは、みるみる優しいおじいさんになっていき、愛するようになっていきました。
ですがこのハイジのおじいさんこと、アルムおんじはアニメでも原作でも触れられていない暗い過去があるってこと、皆さんは知っていますか?
そういえばアニメの第1話で、デーテと村人のおばさんがアルムおんじについて話していたことで気になるセリフがあります。「大きい声じゃ言えないけど、昔人を殺したっていうじゃないか?」あのアルムおんじが昔人殺しをしたというのは、本当なんでしょうか?
ハイジにとっては優しいおじいさんなのですが、真相を調べてみました。
まずアルムおんじの出生地は、ドムレシュク村の農村でお金持ちの家で生まれ育ちました。ですがお金持ちの家で育った割には、悪い友人を持ち、相当のギャンブル好きだったとも言います。賭博にお金を使い果たし、家、財産、地位も全部失ってしまい、おんじの両親はショックのあまり、相次いで亡くなってしまいました。
その後おんじは故郷を離れて、イタリアのナポリで兵隊になりました。その時、戦争で人を殺したわけではなく、仲間同士で喧嘩して殴り殺してしまったそうですが…これは真実なのかどうか、詳細は不明です。
おんじがいつ結婚したかも不明ですが、息子のトビアスを設けます。おんじの奥さんは早くに亡くなりました。おんじは大工仕事が得意で、息子にもその仕事を教えます。トビアスは父のおんじとは違って、とても優しい性格だったのです。
気さくで優しくて、デルフリ村では誰からも好かれていました。その後トビアスは村人の女性の1人と結婚します。その女性がアーデルハイドなのです。デーテの姉です。
トビアスとアーデルハイドの間にハイジが生まれます。ハイジは元々デルフリ村で生まれたのです。ですが!
ハイジの父トビアスは、大工仕事の事故で急死してしまいました。そして母アーデルハイドもショックから夢遊病を発症し、トビアスの後を追うようにして亡くなってしまいました。
ハイジの両親が死んだのは、おんじが神様を一切信じておらず、危ない大工仕事などしていたからだと村人たちから非難されました。教会の牧師がおんじに対して、懺悔をするように勧めましたが、おんじは断りました。
それがきっかけで、おんじは村人達との交流を一切止めて、村を出ていきました。そして村人たちもおんじを嫌うようになり、誰一人として近づこうとはしませんでした。完全におんじは孤立してしまったのです。
村を出たおんじは、村から離れて山に登り、モミの木の前に自分で山小屋を建てて村人たちを避けるかのように1人でひっそりと暮らすようになった、という訳です。ハイジに出会う前のおんじは本当に誰とも口をきかず、心開くことはしませんでした。
でも4年後ハイジがやってきてからは、段々本来の優しさを取り戻していきました。おんじも根っからの悪人ではありません。ハイジをあんなに可愛がっていたのですから。寂しい人だったのです。

主人公ハイジ!天真爛漫で周囲を明るくなごませていった!

アルプスの少女ハイジって題名聞いただけで、何だか明るくなれそうです。主人公ハイジはまさしく天真爛漫で、とても両親を亡くした子供だなんて思えません。
1歳で両親を亡くし、母方の妹デーテに育てられたハイジですが、彼女はどちらかといえばよそに預けられることが多く、住んでる場所も安定していないって感じでした。
現代の様に保育園があるわけではないので、本当に他人の家で過ごすことの多かったハイジですが、彼女は小さい割にはすぐに人に慣れる所があります。人見知りをしない子供と言った方がいいでしょうね。
5歳になって、デーテがフランクフルトに就職口を見つけ、父方の祖父に当たるアルムおんじの所へハイジは行くことになります。でも村人たちが恐れているアルムおんじと噂されても、ハイジはそんなこと全然気にはしていませんでした。
寧ろおじいさんと会うのを楽しみにしていました。アルムおんじは70才で、一番最後にハイジを見たのは赤ちゃんの時でした。ですから5歳に成長したハイジに会うのは4年ぶりのことです。デーテに連れられて急に現れたハイジに、アルムおんじは戸惑います。
ですが村人たちが怖いと恐れているのに、ハイジはマイペースで「おじいさん!」と親しみを持つようになり、一方のアルムおんじもそんな明るいハイジに対して心開き、すぐに2人は仲良く暮らし始めます。
ハイジはアルムおんじにとっては、実の孫、そして息子の子供です。血がつながっているので、可愛くないはずはありません。段々2人はお互いにかけがえのない存在となっていきました。
冬になって、ハイジはペーターのおばあさんに会いに行きます。ペーターのおばあさんが目が不自由だと聞くと、ハイジはまるで自分のことの様に泣きだします。おばあさんは「お前は何て優しい子なんだろうねえ。」と誉めます。ここでもハイジの優しさが伝わり、ペーターのおばあさんもやがてハイジを愛するようになります。
ハイジに出会えたことで、生きて行く喜びを見つけたペーターのおばあさんですが、でもペーターの方が実孫なのに、ペーターでは頼りなかったことになりますよね!そういえばおばあさんは、ペーターのことに関しては「あの子は言葉が少ないからね。」と言っています。
男の子って女の子ほどしゃべりませんからね。
やはりハイジにとってアルプスの山々は彼女の故郷です。沢山のヤギ、犬のヨーゼフは人間同様、友達なのです。子ヤギの雪ちゃん、あとりなど最初に出会った時からもう友達にしています。
そしておじいさんの家で飼っているヤギのシロとクマは、大切な家畜でもあり、やっぱり友達でもあるのです。ハイジが来てからシロとクマもすぐにハイジに懐いています。
おじいさんと暮らすようになってから、山での厳しい暮らしを学んでいくハイジです。その他おじいさんと一緒にチーズを作ったり、ヤギの乳しぼりや口笛を覚えるなど、ハイジはまさしく山の暮らしが似合っている女の子です。
おじいさんの頑なな性格を直していったのも、ハイジです。彼女は本当に周囲を明るくさせ、和ませてくれる優しい性格の持ち主です。

アニメ版で人気急上昇!アルプスの少女ハイジの作品の魅力とは?

ヨハンナスピリの名作アルプスの少女ハイジがアニメ化されたのは、1974年(昭和49年)でした。当時日曜日の夜7時半から放映され、スポンサーは「カルピス」でした。
番組の冒頭では、「カルピスまんが劇場」の字幕でスタートし、アルプスの少女ハイジのオープニングが流れ始めます。伊集加代子さんの素晴らしいヨーデルは大人から子供まで幅広い年齢層に高い評価を受けました。
アニメ版のハイジがどうして人気を得ることが出来たのでしょうか?アニメ監督は高畑勲さんです。高畑さんはこのアニメハイジの監督を手掛けていた時はとても苦労なさったんです。
1974年と言えば、前年のオイルショックなど世の中が決して明るい話題が多かったわけでなく、高度経済成長期の終わりだったんですね。ですから高畑さんは、世の中が暗いことばかりでは、よくないのでせめてアニメで何か明るく出来るものはないか?と考え始め、探しだしたのがこのハイジだったのです。
ハイジは高畑さんの理想の子供像でもあり、アルプスの自然の中で天真爛漫な少女が周囲を明るくしていくことで「もうこれしかない!」と急きょアニメ化決定に至ったわけです。
日曜日の夜7時半と言えば、親子で見るアニメの番組がこの時代は放映されていました。ハイジの前は「山ねずみロッキーチャック」「アンデルセン物語」「ムーミン」など、後の世界名作劇場の全盛期を予測させるようなアニメが揃っていました。
大人から子供まで楽しめるアニメは、当時は日曜日の夜7時半からだと決められており、1974年にハイジが放送開始されてから、アルプスの自然の素晴らしさを親子で楽しめるようになりました。
厳しい山奥でおじいさんと暮らすことになったハイジが、持ち前の明るさで、頑固でひねくれたおじいさんの心を徐々になごませていく…実におじいさんと孫の関係をリアルにそして、まるで実際にあったかのように引き付けて行くアニメ作品となりました。
アニメ版ハイジの魅力は、主人公ハイジは勿論のこと、おじいさんやペーター、そしてアルプスの自然がどんどん視聴者を虜にしていったことです。
そして家畜のヤギや犬のヨーゼフも欠かせない存在となっています。ハイジにとってはペットではなく、皆友達なのです。
ですがアニメハイジの魅力は、バックの景色ですね。美しいアルプスの山々、青い空、そして野生の動物たちなど、全てが皆新鮮に見えて仕方ないです。アニメを見てて、「いつかハイジのスイスに行ってみたい!」と思ってましたが、まだその夢は実現されていません。
子供の頃は、オープニングでハイジが雲の上に乗って気持ち良さそうに飛んでいく場面を見て、「ハイジは本当に自然が合ってる女の子だなぁ~!」と思っていました。
ハイジはいつまでも可愛い、そして優しさを忘れない少女です。
それからアニメでよく登場するマイエンフェルト、ラガーツの温泉、デルフリ村のモデルとなるマランス、マイエンフェルトからデルフリ村に続く長い坂道、ペーターが朝ヤギを集める前に飲んでいる泉などは現地スイスにちゃんと存在しています。
それから何と!ハイジとおじいさんが暮らしていたアルムの山小屋まで存在しています。マイエンフェルトから2時間かけて登った所に山小屋は建っています。ですがアニメの様にバックにモミの木はありません。
写真で見ると本当にハイジは、美しい山の中で暮らしていたんだな~ってことがよく分かります。

ヨハンナ74歳で逝去!ハイジ以外の作品をいくつかご紹介!

ヨハンナスピリは、60代から70代までの人生を小説家としての情熱を燃やし続けました。ツェルトヴェークの住宅地エッシャーハウスにて1人暮らしをし、小説家で生計をたてていました。
そして1901年7月1日、ヨハンナスピリは74歳で亡くなりました。彼女のお墓は生まれ故郷のチューリッヒにあり、夫と息子の真ん中にあります。
41歳で小説家としてデビューし、亡くなる直前まで彼女は小説家として、沢山の作品を出してきました。
1880年に「アルプスの少女ハイジ」が最大のヒット作ですが、この他にもヨハンナスピリは沢山の作品を出しています。その題名をご紹介しましょう。
1871年 44才(デビュー作品) フローニーの墓の上の一葉
1872年 45才 父の家へ
1873年 46才 迷って見出されて
1878年 51才 故郷を失って
1879年 52才 遠近から 消息は消えたが忘れずに
1880年 53才 ハイジの修行時代と遍歴時代→アルプスの少女ハイジの原案
1881年 54才 ハイジは習ったことを使うことができる→前年作品の続編
1882年 55才 短編集第一部 日曜日
1885年 58才 ある弁護士の生涯→新聞に掲載
1886年 59才 短編集第二部
1887年 60才 彼女は何になるべきか
1888年 61才 アンツールとスキレル
1889年 62才 スイスの山々 彼女は何になったか
1889年 62才 コルネリは教育される 誰でも人を助けるほど小さくはない
1890年 64才 ロイヒテンゼーテ
1891年 65才 ヴェルデンシュタイン城
1894年 68才 レザー家のひとり
1901年 74才 シュタファミューレ・水車小屋(ヨハンナスピリ生涯で最後の作品)
以上がヨハンナスピリが小説家として、発表した全作品です。彼女が亡くなった10年後には「スイスの女性」と題して、ヨハンナスピリの一生を描いた本が出版されました。
これだけ多くの作品を残したヨハンナスピリですが、1900年代以降に入ると、「ハイジ」が日本にも知れ渡るようになりました。正式に日本に「ハイジ」が有名になったのは、1920年2月15日です。
英語版になっていた「ハイジ」を初めて日本語に訳して発表されました。
1937年にはアメリカで「ハイジ」の名前で映画化されました。モノクロの88分構成の実写版映画です。ですが映画の時間が余りにも短かったため、原作とは大幅に内容が変更されました。
1951年にはヨハンナスピリの没後50年を記念して、スイスでヨハンナの肖像画入りの記念切手が発売され、爆発的に売れました。さすがに地元生まれの作家として、ヨハンナは人気があったことがよく分かります。
1952年地元スイスでモノクロ映画「ハイジ」が上演されました。ハイジの人気はどんどん上昇していき、世界的にも超有名な作品として知れ渡っていきました。
1953年11月には、地元スイスで、小学生の提案で募金をしてマイエンフェルトに「ハイジの泉」が出来上がります。
1968年、チューリッヒにヨハンナスピリ財団が建てられました。そこにはヨハンナの残した作品集、写真、絵、下書きなどが大切に保管されています。
日本ではヨハンナスピリのハイジ以外の作品は余り見かけることはありませんが、根気よく探せば日本語に訳したヨハンナの本が何処かの大手書店で見つかるかもしれません。あれだけ多くの作品を生み出した彼女のことです。ハイジ以外の作品だってきっと本として販売されているでしょう。

愛する人達を亡くしたヨハンナ!その後は作家として全力投球!

折角「アルプスの少女ハイジ」を誕生させ、大ヒット作になったにも関わらず、ヨハンナは愛する一人息子と夫を同じ年のしかも半年間で相次いで病気で亡くしてしまい、晩年はひとりぼっちの人生を歩んでいくといった、悲しい運命をしょいこむ羽目となってしまいました。
暫くは2人を亡くした悲しみをなかなか受け入れられず、傷心状態のヨハンナでした。愛する人を一気に亡くすことって本当に運命を呪いたくなります。「何故私がこんな目にあわなくてはいけないのか?」みたいに普通は悲観的になり、なかなか立ち直れません。
ですがヨハンナには小説家の仕事があります。この仕事さえしていれば、自分の作品を待っててくれる沢山の読者がいますし、何より楽しんで読んでくれることは彼女にとっても嬉しいことです。
生前の一人息子と夫との楽しく幸せな毎日、苦労はあったけれどそれなりにヨハンナにとっては家族3人で暮らした思い出は決して消えることがありません。
そして息子と夫を亡くした翌年、ヨハンナは愛する夫の思い出を書き綴った作品を新聞に掲載させました。題名は「ある弁護士の生活から」です。これはヨハンナの愛した夫の弁護士としての活躍ぶりを書いたものでした。
そして1人になってしまったヨハンナは、ラガーツの温泉を離れて、ツェルトヴェークの住宅地エッシャーハウスに引っ越します。そこへ引っ越したのをきっかけに、彼女は最後の人生を賭けて小説家の仕事に没頭し始めます。
家政婦を雇い、ヨハンナの生きがい小説家としての情熱的な人生が始まりました。「沢山の小説を書いて、多くの人達に読んでもらうことが私にとっての新しい生きがい!」と自分自身に言い聞かせ、息子と夫を急に亡くしてしまった悲しみから早く立ち直れるように彼女は頑張り続けました。
そして見事にヨハンナは、悲しみから立ち直り、その上「ハイジ」が英語版として出版されるとまたまたヒットの嵐になりました。
やがて60代に入ると、どんどん作品を出し続けていきました。ヨハンナの小説家としての情熱が一番最大であった時期でもあります。
仕事がひと段落すると、外国へ旅行に行くなど、1人になってもヨハンナは強くたくましく小説家としての道を歩み続けます。再婚もせず、独身を通し続けます。
好きな仕事を持つことで、自分の書いた作品が多くの人を喜ばせることが出来るなんて、本当にヨハンナは素晴らしい女性と言えます。しかも息子と夫を立て続けに亡くしても、悲しみから立ち直って1人で誰にも迷惑かけずに生きています。
ヨハンナの人生の支えは小説家として沢山の作品を書いて、1人でも多くの人に見てもらうことだったんです。幼少時代、母から聞いた詩の朗読や讃美歌を聞いて育ち、その魅力を彼女は子供ながらにもう知っていたのです!
でなければこんなに沢山の作品は書けなかったでしょう。息子と夫亡き後は、ヨハンナ小説家としての誇りを持って、全力投球していました。
晩年の彼女の作品はどれも力作揃いです。